blog: 臨床看護研究のあり方について(備忘録)

タイムラインにちょっと気になるポストをいくつか見かけたので、今の私の意見をメモ書きしておこうと思います。
※当該ポストは特定していません。

まず、「看護研究をなぜ"看護"研究と呼ぶのか、真に学術的・科学的なのであれば「研究」と呼ぶだけで良いのではないか。"看護"をつけて呼ぶことによって、科学的活動の矮小化につながっているのではないか」という意見がみられました。これについては、国際的にも"Nursing Research"で通ってるので、私はまったく違和感は感じません。それをいうと「医学系研究」ってなんやねんって議論と同義だろうし、現に「疫学研究」とか「薬学研究」とか、特定する呼称がないわけではないので、看護だけ足並みがおかしい印象も受けません(個人的にはなんでも良い・どうでも良いと思っている)。

次に、「臨床看護研究の矮小化・自己満足化」についてのポストがいくつか見られました。臨床看護研究については、私もいろいろと思うことがあり、ほそぼそと求められた場所で活動してきてますが、研究活動をどの範囲に還元するかは研究やプロジェクトの内容や予算、実現可能性などにもよるかと思っています。
研究活動を論文化するのは大前提という立場を私自身とっていますが、院内発表は良くなくて論文化したらOKという単純な話でもないように思います。
理由は、①研究結果還元の適用範囲を議論すると、じゃあ和文誌は「日本の中だけでよくない」という話になるし、②そもそも雑誌の質もピンキリなので、「論文化」=科学的に妥当で還元できているとも言い切れないと考えます。
もっというと、のちの議論ともつながりますが、別に実践家の研究だけでなく、研究者の研究も論文化されず埋もれていく研究はとても多く、臨床看護研究だけが社会還元できていないわけではありません。看護分野で行われている研究が社会にあまり還元されないのは、臨床現場での研究だけではなく、看護全体の課題です(最近は公表されるようになりつつありますが)。

とはいえ、今の臨床看護研究の環境や質はもっと良くなるし、改善すべきだし、一番よくないのは研究している側の自己満足で終わらせてしまうことが良くないことです。これは研究者にも言えることで、(臨床)看護研究が論文化されず自己満足のように映ってしまうのは、大学等の研究者がしっかりとした研究をして、論文化しないために、「発表がゴール」のような論文化されない文化を形成してきたせいだと私は思います。最近では学位を持つ実践家も徐々に増えてきており、その方たちは臨床現場で看護研究を指導・支援する立場にあることが多いでしょう。そうした方々が師事した指導教員(や研究室の教員)が論文公表をしている人なのか、論文執筆を指導できるのか、我々研究者は今一度考えなくてはならないと思っています。

いずれにしても、論文化されないから無駄だとか、自己満足だとか、一元的にいろいろ現状にケチをつけるのは簡単なんですが、支援したり教育したり、なにより自分自身が研究を継続して論文化し続けるのは簡単ではありません。単純に現状を嘆いたり非難するのは、いささか軽薄な気がします。

そのうえで、いくつかのソリューションを提案してみたいと思います。
ひとつめは、院内看護研究の論文集を外部の方々も閲覧できるようにすることです。学術誌への投稿(や一部の学術集会での発表)を考えている際には、二重投稿に引っかかってしまうので、何をどのように公表するかは要検討ですが、社会還元という意味では、企業が行っている調査研究等でもweb上で閲覧できる状態になっていたりしますので、同じように誰もが院内の研究活動を見られるようにするというのもひとつの手ではないでしょうか(大学の紀要みたいなものをイメージしてます)。

ふたつめ、理想的には大学の研究者と共同研究として行うことです。私も臨床看護研究のオブザーバーや講師として活動してきましたが、この立場では若干指導しきれない歯がゆさも感じています(時間的にも立場的にも)。研究活動を一緒に行うことで、身に付けられることも多いと思います(若手研究者がボスの研究プロジェクトに参画し学びながら研究を進める感じをイメージしてます)。
これも状況的に難しいことがあるので、まずは伝手のある研究者に相談してみて、まずはオブザーバーや講師をお願いしてみるのも手です。

みっつめは、もっと理想的なことですが、やはり院内でしっかり研究を理解している人を育成・配置することです。はっきり言って、修士号では自律して研究を進めたり、他者に指導したりすることは不完全なので、博士号を持つ方が望ましいでしょう。そのために人材を雇用したり大学院へ学びに行かせたりすることも一案です(米国ではそのようなリサーチナースが病院で活躍しています)。
「そこまでする必要ないかな」「現状それは難しいかな」という場合は、これまでの対策を検討してみてはどうでしょうか。

発端のポスト(特定はしません)だけでなく、臨床看護研究についてはいろいろと議論があることは十分理解していますし、私も思うことはまあまああります。発端のポストと共通しているのは、「やるからには中途半端じゃなくキッチリやろうよ(できるように検討・改善しようよ)」と思います。中途半端なら、臨床看護研究は必ずやるべきことでもないような気がします。臨床で研究的に解決したい、でもうまくできるかわからない、そんなときは研究者に調査研究自体依頼してみても良いと思います。

さて、もし長々付き合っていただいた方で、臨床看護研究の企画や実施などに困っていることがあれば、遠慮なく連絡ください。できる限りの支援はしたいと思います。
※施設や部署単位でご相談ください。

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