blog: 平等と公平を思料する

平等と公平。類似した用語だが、全く異なる概念である。複数の個人が存在する組織においては、この平等と公平をどう扱うかによって、組織構成員に生じる認識が変わることがある。ここでは、その「似て非なるもの」である平等と公平について、組織を軸に思料してみたい。

平等と公平の違い

平等とは、英語で「equiety」と訳される。「イコール」と聞くと日本人でもわかりやすいだろう。平等についての説明はほとんどこれで終わっているのだが、平等とはつまり、「イコール」であるということだ。「平等な権利」というと、誰しもが全く同じ(当該)権利を有するということである。平等な賃金、平等な労働、などというと、賃金はみな同じ、労働もみな同じ、ということだ。

一方、公平は英語で「fair」などと訳される。日本語でも「フェア」と用いられたりするので、日常的にも比較的よく耳にする(スポーツなどで「フェアな戦い」などと使われたりする)。

さて、平等と公平の違いだが、公平であることが必ずしも平等であるとは限らないし、平等であることが公平であるとも限らない。例えば賃金を例にとってみると、とある組織で働く人全員が同じ賃金であれば、それはすなわち「平等な賃金」だが、働きようは個々人で異なる。よく働く人もいれば、怠ける人もいる。こうした場合、「平等な賃金」であることは、公平であるとはいえないのである。すなわち「不公平」である、ということだ。

組織は、マネージャーを中心に、限りある資源(お金とか時間とか、道具とか情報とか)を、可能な限り用いて成果を最大化することが求められる。そのとき、資源をどう分配するかがカギとなるのだが、この分配にあたって、平等に分配するか公平に分配するかの選択を迫られる。

賃金で考える平等と公平

話を単純化するために、まずは「賃金」で考えてみよう。日本の看護業界は基本的に、年功序列で賃金が決まる(もちろん看護業界以外の多くもそうである)。考え方にもよるが、根本的に「賃金」、すなわち「給与」は、働いたぶんのその労働に対する対価として支払われる。この考え(仮定)をもとに考えると、年功序列は「経験のある人(=勤続年数が長い人)のほうが、そうでない人より”平均的に”よく働く、もしくはより大きな成果をもたらす」という前提を置いているとも考えられる。さて、(この前提が正しいかどうかはいったん置いておいて)年功序列は平等だろうか、あるいは公平だろうか。

個人的には平等でも公平でもないと思うが、あえてどちらかに分類するとすると、一定程度平等だが公平ではないだろう。「同一労働同一賃金」という観点から考えると、経験の少ない人と経験の多い人で同じ仕事をしても賃金が異なることになるので、それは不平等だろう。しかし、「経験さえ積めば(勤続年数さえ長ければ)仕事ぶり如何にかかわらず同じように給与があがりますよ」という枠組み自体は平等であるといえる。一方、公平かどうかということになると、いずれの観点からも不公平と言わざるを得ない。さきほど述べたように、給与は労働の対価として支払われるという前提に立つと、同一労働であれば年数や他の要因に関わらず同じ給与であるべきだし、昇給も日々の働きぶりの評価によって変動するべきだろう。

休日(有給)で考える平等と公平

次に、「休日」についても同様に考えてみる。細かい規則などは各職場(事業場)で異なるため、ここでは話をわかりやすくするため、「4週8休+年次有給休暇(有休)20日付与」という条件で考えてみたい。そのうえで、4週8休は法定休日+就業規則で定められている休日であるため、ここではそれらが取得されている前提で進める。つまり、「有休をどうするか?」ということである。私の看護師時代の経験で端的にいうと、当時独身者であった私の希望休(有休)よりも、「(子どものイベントなど)家庭の事情で休みたい」という家庭をもつ看護師の希望休(有休)のほうが優先されていた、ということがあった。ここでは、この事例が良いとか悪いとか判断したいのではなく、この事例を平等や公平という概念から見てみるとどうだろうか、ということだ(*私自身はとくに休みを取られた感覚はなかったし、当時の管理者は別日の有給を提案してくれていたので、全体的な休日数の差異はなかったと記憶している)。

もし仮に、私の過去の経験のように、独身者の有休よりも家庭をもつ者の有休が優先され、かつ全体的な休日数にも差が出てしまった場合はどうだろう。まず「平等」というところから考えると、休んでいる日数が異なるため、当然ながら平等とは言えないだろう。では公平(あるいは不公平)だろうか?(子どものイベントなど)家庭の事情は日にちをずらすことは困難だし、かといって独身者の用事が別日に動かせるかどうかもわからない(好きなアーティストのライブなど)。好きなアーティストのライブと子どもの運動会では、どちらが優先されるべきだろうか?あるいはどちらも優先しないほうが良いだろうか?権利や機会の平等性・公平性は、実際のマネジメントにおいては非常に繊細だ。

不平等や不公平が何をもたらすか

看護師の職場において不平等・不公平が生じやすい労働状況(労働時間や夜勤回数、有休数)や勤務割り振りについて、私たちが行った研究によると、子どもがいない看護師は、子どもがいる看護師に比べ、超過勤務時間が長く、月あたりの夜勤回数が多く、1年あたりの有休数が少ない。そして彼らは、高いバーンアウトを経験し、ワークエンゲイジメントが低かった(平等・公平に直接関連しないが、本研究ではさらに、職場のソーシャル・サポートも低いことがわかった)1。子育て属性という一側面からみてみると、看護師の労働時間や夜勤回数、有休数が平等ではないことが明らかにされ、結果として高いストレス状態や低いモチベーションに繋がっていると考えられる。また、仕事がどのように割り振られるかという点とバーンアウトとの関連をみた別の研究では、他の人と比べて(新卒者など)サポートを要する同僚との勤務が多いことや相対的に夜勤回数が多い勤務表であることがバーンアウトと関連するということがわかった2。これらの結果から、たとえ勤務や労働状況の偏りが(管理者側が思う)公平な手続きを経て生じたものであったとしても、その偏り自身が、不平等を感じる職員の職務心理状態に影響する可能性を孕んでいるということだ。

限りある資源から看護組織の平等・公平を思料する

誤解を招かぬよう注記しておくと、特定の個人の属性が恵まれているとか、逆に差別されているとか、そういった議論をしたいわけでは毛頭ない。前述の通り、組織はマネージャーを中心に、限りある資源を適切に分配して、成果を最大化することが求められている。労働者のワーク・ライフ・バランスも最大化すべき成果のひとつであり、それに個人差があってはならない。ワーク・ライフ・バランスはみな平等であるべきだ。そのうえで、何が平等(イコール、みな同じ)であるべきなのか、何が公平(正当)であるべきなのかを見極めて組織をつくっていく必要がある。私見を述べると、例えば先の例にあるような、休日や労働時間、夜勤回数といった規則で定められているもの・皆が同じ権利を有する(と考えられる)ものは、なるべく平等であるべきではないかと思う(*もちろん、非正規雇用(パートタイムなど)や短時間正職員制度など、規則上その制限等がある場合はそちらに従う)。一方、給与や賞賛といった”報酬”にあたるようなものは、普段の働きぶりや成果によって個々人に分配されることが望ましく、公平であるべきではないだろうか。

結語

平等と公平は同じではない。平等であることが、得てして不公平を招くことがある。看護組織を例にみてみたが、日常でも同じだ。「医療はアクセスフリー」という名目の下、誰しもが望んだ医療を望む場所で受けられるという平等の権利を有するが、実情はほんとうに平等だろうか?1回の試験で得た得点順に志望校に入学できる、という平等の機会が与えられているが、それは公平だろうか?

何が平等であるべきなのか、何の公平性を保つべきなのか、平等性と公平性の観点から深く考えることが必要だ。

  1. Kida, R., Ogata, Y., & Nagai, S. (2023). Uneven distribution of stressful working conditions among Japanese nurses: a secondary analysis of nurses with and without children. Industrial health.. https://doi.org/10.2486/indhealth.2023-0117 ↩︎
  2. 渡邊龍之介, 木田亮平, & 武村雪絵. (2022). 労働状況および偏りのある勤務割り振り, 勤務日・休暇のコントロール感不足とバーンアウトおよび身体愁訴との関連―交代制勤務に従事する看護職を対象としたオンライン調査―. 日本看護科学会誌42, 63-71. https://doi.org/10.5630/jans.42.63 ↩︎

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